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少し思わせぶりなタイトルになってしまいました。
筆者(無禄)は「一度だけの人生を悔いのないものにしよう」という考えに賛同する者の一人です。
しかし、同時に、還暦を経験した筆者は、「霊性」としての人生が「転生」によって何度も繰り返されるという高次元のパラダイムの可能性にも共感を覚えるようになりました。
スピリチュアリストや、高次元の存在と交信できると自認する人々は、無数の「転生輪廻」の概念を支持しています。彼らからすれば、「人生は一度ではない」という主張がしばしば聞かれるわけです。
また、「人は死んでも霊性は消えない」という考え方も強調されています。筆者としても、その点についてははっきりとした考えがあり、ここに書き残しておこうと思います。
命は大海の一滴?
この表現を聞いたことのある方も多いかと思います。霊性は物理的な死を経て高次元の世界に帰郷し、もともと「大海の一滴」であったものが「大海」に帰る、という考えです。人間の霊性は経験を積むことで、高次元の世界にある「大海」にたとえられる根本意識の成長に貢献しているのかもしれません。
そうであれば、個々の人間が「人生は一度しかない」という限定的な見方を持つことは、少しもったいない気がします。
筆者が20代だった昭和50年代には、現在のようなX(旧ツイッター)やインスタグラム、LINEといったISP(インターネット・ソーシャル・プラットフォーム)はまだ存在しておらず、ネット上のコミュニケーションはチャットサービスや「〇〇知恵袋」などの公開Q&Aが主流でした。
筆者は何らかのきっかけで「転生輪廻」の概念に触れてきた経験があり、「一度だけの人生」と「繰り返される霊性」という二つの考えの間で少なからず葛藤していました。
ある時、知恵袋サービスで次のような質問をしてみたことがあります。
問:「私は、魂の輪廻転生についてよく耳にします。もし人間の本質が転生によって経験を積んでいくものなら、この人生で目標を達成しなくても、次の人生で努力を続ければ良いと思います。この考えについてどう思われますか?」
当時20代だった筆者の質問に対して、次のような回答がありました。
答:「『次の人生で努力すれば良い』という発想は、単に目標達成を先送りしようとする甘えです。転生があっても、あなたはまた先送りするでしょう。転生を言い訳にして、自分の成長機会を放棄しているだけです。」
この回答を見た当時の筆者は少なからずショックを受けましたが、確かに、現実の目標を追い求めることを放棄する理由として転生を持ち出すのは誤りだと感じました。
人の記憶と死
人は肉体的に死ねば、脳を失い、記憶も消えると考えられていますが、「霊性が残る」とする転生の考えでは、霊性は肉体的な死を経て高次元の世界に帰郷し、また新たな肉体で人生を始めるとされます。
ただし、この考え方には「すごろく」のように「ゴール」があり、成長した霊性は転生を繰り返す必要がなく、より高次元の光の世界へ昇華すると言われています。
霊性の成長についての話を読んでいくと、次のような疑問が浮かんできます。
問:「霊性が高次元の世界に戻り、大海の一滴に吸収されるのであれば、個人としての経験やアイデンティティは消えてしまうのではないか?」
筆者もこの疑問に興味を持ちました。この問いに答えることが霊的指導者の義務であり、証明の一つだと思うからです。
やはり人生は一度しかない
筆者は、これまでに多くの霊性に関する書物や伝承に触れてきましたが、それらの共通項を整理すると次のような結論に至ります。
まず、人間の「個」としての存在意義は、尊く大切にされるべきものです。しかし、ひとたびその個人が肉体を離れて霊的次元に戻ると、生前の「個」としての重要性は、霊的な視点から見るとごく小さな社会的な枠組みに過ぎなくなる、ということです。
これはまるで、「惑星地球」の一部として存在していた意識が、一時的に港区のような狭いコミュニティに派遣され、その場で自分の人生を生きるようなものです。派遣された個人は、自分が「地球」という大きな意識の一部であったことを忘れ、ゼロから新しい経験を積み重ねます。そして、その人生が終われば、また「地球」という大きな意識に戻るのです。
もしこのアイデアが本質を捉えているとすれば、港区に派遣された個人の「狭い意味での」人生は確かに一度きりです。
より大きなパラダイム
現実社会や人生が生きづらいと感じる人にとって、死後にすべてが無となり、苦しみや悩みから解放されることは、歓迎すべきことかもしれません。しかし、多くの人々にとっては、自分の人生には夢や目標、喜びがあるはずです。そのため、「一度きりの人生」を最大限に生きることは、価値のある行動です。
そして、その人生が終わり肉体から解放された霊性が、より大きな霊的存在に戻り、新たな目標を持つのであれば、それもまた価値のある経験といえるでしょう。
高次元の世界では、私たちが生きた「一郎」や「花子」を思い返す機会があるかもしれません。
地球では考えられないようなことが可能な高次元世界なら、私たちの人生や経験が無意味に消えるわけではないはずです。
霊的な記録、つまりアカシックレコードが実在するなら、すべての人間の人生は詳細に記録され、それぞれの人生が霊的な大海に保存されているはずです。
まとめ
高次元の伝承や教えを総合すると、「大海」に例えられる人々の霊性の総和のなかに「一度きりの人生」は確かに存在するといえます。
個々の人間が特定の環境で経験する人生は一度しかなく、それが終われば肉体の死とともに無になるというオプションもあるかもしれません。あるいは「大海の一滴」として霊的な源泉に戻り、次なる霊的成長の旅が始まるかもしれません。
私たちが頭の中で思い描くいくつかのオプションがすべて実現可能であると信じるならば、私たちの人生はより生きやすいものになるでしょう。
したがって、「人生は一度きり」(You only live once) という考え方も、十分に成り立つものだと筆者は思うのです。
より大きな視点があるとすれば、そして、より高次元のパラダイムがあるなら、「一度きりの人生」はアカシックレコードのような霊的宇宙に点在する一つ一つの星の煌めきであり、究極の価値は、全ての煌めきの総和なんだろうと思うのです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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