闇が深い?日本が終わる?・・・とんでもない

時事ネタ雑記

テレビ社会の終焉から久しい今、ネット文化、特に動画サイトにおける日本語の使い方について、見直すべき時期が来ていると思います。

特に、「闇が深い」という表現には、大いに違和感を感じます。

今日はそのことについて書きたいと思います。

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本気で「闇が深い」と言えるのか

経済界、政界、あらゆる〇〇界を話題にする中で、インフルエンサーが頻繁に使う「闇が深い」という表現。私は、この言葉を安易に使うべきではないと思います。

なぜなら、真に「深い闇」を経験していない人が、軽々しくその表現を使うことで、人間の組織や活動を過度に否定的に評価することになりかねないからです。

ここで、ミッキー・ロビンソンの話を紹介します。彼のインタビュー動画をぜひご覧ください。

彼は若きスカイダイバーとして活躍していましたが、1968年に飛行機事故に遭い、全身に火傷を負い、瀕死の状態になりました。体の7箇所に決定的な損傷を受け、医師からは生存の可能性がないと宣告されたのです。

しかし彼は奇跡的に生還し、その際に臨死体験をしました。彼が見た死後の世界には、「明」と「暗」の世界があり、「暗」の部分は永遠の闇で、生命も物質も存在しない恐ろしい場所だったといいます。その闇を体験した彼は、他人が地獄に落ちることを想像するだけで身震いするようになり、彼の表現する「闇」はまさに “horrible” だったのです。

このように、本当に深い闇を知る人からすれば、「闇が深い」という言葉を軽々しく使うべきではないことがわかります。人の会話の中に、安易に「闇が深い」といった表現を含めることは避けるべきでしょう。

「日本が終わる」とは?

日本の政治評論家やインフルエンサーは、政治や経済に問題があるとすぐに「日本が終わる」と言います。しかし、「終わる」とは具体的に何を指しているのでしょうか?

1945年、日本は広島・長崎への原爆投下、大空襲による被害で国としての構造が一時的に破壊されました。その時こそ、日本は一度「終わった」のです。しかし、我々日本人は多くの助けを得て、不屈の努力で復興を果たしました。

image photo by envato elemnts (all rights reserved) イメージ素材です。

そのような歴史を持つ日本が、今すぐ「終わる」と簡単に言ってよいものでしょうか?すべての人が善意を持って努力しています。もちろん悪人もいますが、日本においては少数です。

安倍晋三元首相の暗殺時、バイデン米大統領は、「アメリカでは毎日銃器で人が命を落としているのに、日本でその年に起きた銃による殺人は、この一件しかない」と話し、驚きを隠しませんでした。また、海外から日本を訪れるアスリートや著名人が、タクシーや飲食店に忘れた上着や財布がきちんと戻ってくることに驚嘆しています。

日本がいかに平和で安全な国であるか、ほとんどの日本人は理解していません。支え合いながら生きているこの国の現状を考えると、「日本が終わる」や「もう日本はダメだ」などと簡単に言うべきではないでしょう。

言葉の影響力

私たちが日常的に使う言葉には、大きな影響力があります。「闇が深い」や「日本が終わる」といったフレーズは、しばしば感情を煽るために使われますが、その軽率な使用がどのような影響を及ぼすかを考えることは重要です。

言葉は現実を映し出すだけでなく、時に現実を形作る力を持っています。何気ない発言が人々の感覚を麻痺させ、問題の本質を見誤らせることもあるのです。例えば、頻繁に「闇が深い」と言われることで、組織や社会全体が根本的に悪いものだというイメージが定着してしまうかもしれません。しかし、実際には改善の余地がある課題を過度にネガティブに捉えることで、解決策を見つける努力が失われてしまう危険性があります。

同様に、「日本が終わる」という表現も、現状を過剰に悲観視し、希望や未来へのビジョンを狭めることにつながりかねません。歴史を振り返ると、日本は何度も大きな困難に直面してきましたが、そのたびに力を合わせて乗り越えてきました。

写真は他国のもの。イメージ写真です。 image photo by envato elements (all rights reserved)

惑わされない心境を

筆者が幼少の頃、電車の中はタバコの煙が立ち込め、ゴミが床に捨ててありました。社会人になった当時、上司は部下の胸ぐらを掴んで脅して仕事をしていました。筆者の最初の仕事は上司のタバコを買いにいく仕事でした。一部上場の大手企業の話です。

子供の頃、都内の道路は水たまりだらけで、車が走ると泥水がはねて人の服を汚していました。筆者の体内にはギョウ虫という寄生虫が沸いていて、国から支給された酷い味の薬を飲んでいました。自家用車を持っている家庭は富裕層だけでした。

2024年の社会から見れば、筆者の幼少期や20歳代の日本は、まだ民度の低い荒れた国でした。日本の経済がエコノミックアニマルと呼ばれた当時、会社員はほとんど寝る間もなく働かされ、50を超える頃には病気に苦しみ、死んで行きました。

こういった酷い日本はもう過去の話です。筆者は、ここまで発展した日本は、賞賛されるべきだと思います。

言葉の選び方には、常に慎重であるべきです。特に、インフルエンサーやメディアが発信する情報は、多くの人々に影響を与えるため、責任を持って使われるべきです。現実を正確に伝え、無用な恐怖や誤解を生むことのないよう、私たち一人ひとりが意識を持って言葉を選ぶことが求められています。

言葉には、社会を変える力があるのです。私たち一人ひとりが使う言葉が、未来の日本を形作る一部となります。無意識のうちにネガティブなフレーズを使うのではなく、希望と可能性を感じさせる表現を選ぶことが、個人の幸福感だけでなく、社会全体の向上にもつながるでしょう。あるべき「生きかた」のひとつです。

最後まで読んでいただき。感謝です。

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