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『銀河史』下巻を読み終えました。(最終章である第八章の「地球エクソダス」を読み終えたのは2024年10月22日)
上下巻を読み終えてから数日は、この大作をどうまとめるのか悩みました。最終章は、ごく最近(2000年以降)の地球と日本に関する非常に重い内容が綴られているので、不用意にダイジェストできません。ダイジェストすれば、「ネタばれ」にもなります。
一方、この『銀河史』は2022年時点での地球と日本について多くの啓示を行っていますが、地球も日本もその後の展開があり、発行元の先端技術研究機構(RIAT)がウェブサイトで公開している最近のブログ記事と合わせて参照する必要があります。2022年から現在(2024年秋)までの宇宙・地球・日本は大きな変動を経験しています。
そこで、筆者の「読み終え記事」としては、この書籍が、どのような動機で、何のために上梓(書籍として発表)されたのかをまとめてみました。
尚、『銀河史』下巻を最後まで読まれる読者がおられるならば、必ずネット上の「先端技術研究機構」のRIAT BLOGにアクセスして、 2022年12月3日の記事と同月10日の記事をじっくりお読みになってください。
書籍『銀河史』の目的
この書籍は、天の川銀河の過去数十万年前からごく最近までの驚くべき史実を整然と伝えるだけではなく、日本の人々を対象とした重大な啓示書(英語で言えば Book of Revelation )の役割を持っています。
啓示書というと地球の宗教では「聖書」のような布教活動を目的とした「教書」といった意味になりますが、この『銀河史』の場合は、宗教的な啓示ではなく、もっと具体的で忖度のない「宇宙規模の壮大な暴露本」であると言えます。
この本全体を通して伝わってくる作者のテーマは、「地球人は何も知らない」(正確には「知らされていない」という解釈)です。
端的に言ってしまえば、この本のメッセージは「日本の皆さん、地球人はこれだけのことをまだ知らされていないし、学んでいないのです。」ということの徹底的・具体的な啓示なのです。
この『銀河史』は空想科学か?
この本の内容が、あまりにも奇抜で、新鮮かつ驚くべき内容に満ちているため、非常によくできた空想科学小説(SF)ではないかと思われがちですが、
筆者の結論として、この本はSFではありえません。いくつかの理由があります。
まず、史実の説明について次から次へと羅列される恒星系や惑星の固有名詞、人物の名前などが不必要に多いという特徴があります。こういった固有名詞の羅列はSF小説としては冗長だし、不必要です。作家の視点から考えても、手間がかかり過ぎて「小説を評価してもらう」という意味での費用対効果がありません。
次に、この本はハッピーエンドでもバッドエンド(悲劇)でもないということです。最後まで読めば分かりますが、この銀河史は完結していません。ある意味では「これからが本編」と言った雰囲気で終わるのです。そんなSF小説は聞いたことがありません。
最後に、「空想科学」というレベルを超えた科学技術的な説明があります。その内容は言語、生命科学、物理学、工学、天文学、音楽、そして神学を網羅しています。やはり費用対効果の面で、この『銀河史』上下巻だけのために、ここまで多岐にわたる深い技術説明は不要であり、冗長過ぎます。
『銀河史』と地球の宗教について
この書籍には宗教色は全くありません。あるのは、人間が漠然と認識している「創造主」であるとか「神々」といった概念の実像の説明だけです。
登場する「創造主」は宗教における「全知全能」的な存在ではなく、思い過ごしや、誤認もするし、失策によって多くの人間社会に迷惑をかけていることが赤裸々に説明されています。
また、「神々」についても、日本の文化にあるような神聖な定義は全く無く、その一部は極悪非道であり、一部は怠慢で無気力、そして前述の創造主の一挙一動で簡単に消滅させられたり、改質させられたりします。その意味で、この本の中の「神々」は「人々」に置き換えても良いぐらいの扱い方です。人間と神々を区別しているのは、生息している環境が、地球などの惑星環境の物理空間であるか、物理的には見えないアストラル界に生息するものであるかの違いだけです。
『銀河史』は、モーゼの「出エジブト」に関する詳しい史実(真説)を伝えていますが、モーゼが示したとする「十戒」については一言も触れていません。しかし、十戒にあるような「殺すな、騙すな、盗むな」といった道徳観念について否定しているわけではなく、いわば「十戒」にあるルールは「あたりまえ」過ぎて記述する価値が感じられないと言った程の扱いなのです。
キリスト教から発症した「地獄」の発想については、くどくどと説明するのでなく、糞尿の類の「汚くて取るに足らない」存在なり人々であると簡単に片付けています。
「神を信じて、悪事を行なわず、祈りなさい。でないと地獄に落ちる。」と言った宗教的教義については、『銀河史』の視座から見ると「何も知らない原始達のレベルの低い文化で一時的に使われた方便と言った程の解釈でしょうか。
対象となる読者層
あらゆるSF小説を超えるSF的な魅力を持ち、驚くほど整合性のある科学的語り口の『銀河史』ですが、
この本にはきちんと価格があってAmazonでも販売されている反面、発行元の先端技術研究機構の上席顧問によれば、この本が「地球人類全体に広く知れ渡って読まれるべき」だとは全く思っていないのです。
しかも、この本が想定している読者は「日本人」であり、日本語という57音言語で読まれることを前提としており、外国語に翻訳されて海外に流布されるようなことは意図していません。
つまり、理解できる人が理解できれば良いのであり、もとより地球人類は愚か、日本の全人口がこれを読んで理解して啓示された内容に追随することを目的としていません。
もっと具体的に言えば、日本人全員がこれを理解して、日本政府も含めて、日本が同じ目的を持って行動するようなことは「時間的に」無理があり、啓示・啓蒙を趣旨とする発行元としてもそこまでの期待感は持っていないということです。
つまり、極端に解釈すれば、これは同じ趣向を持った人の趣味の本であり、関心がない人間を捕まえて全員にこれを知らしめる必要など毛頭ありませんというものなのです。
著者は誰なのか
下巻を読み進めるうちに、ちらほらと示唆され始める、『銀河史』の著者の正体は、最終章「地球エクソダス」の段階ではっきりと説明されています。
曰く、この書籍を書いたのは、他でもない「創造主」であり、歴史家でも小説家でもないということであり、さらにこの「創造主」は、『銀河史』に登場する「セザナ神」ではなく、その後継者だという説明になっています。
筆者が「創造主」なのだから、この『銀河史』の中の(前任者である)創造主や神々が、レスペクトされた形で表現されていないのは、ある意味当然に思えますが、しかし、我々の頭にこびりついている「創造主」という存在が本を書いているという、ある種「まどろっこしい」作業をしていることには、流石に拍子抜けの印象がある。
「創造主」や「神々」を、ことすら崇拝対象にすることは「原始人の浅知恵」だとする『銀河史』全体の色調は理解できましたが、天の川銀河の全人類を抹殺するほどの力のある存在が、なぜ書籍を準備しなければならなかったのか?
何らかの目的で地球人を感化するなら、既知の宇宙生命論的技術で、地球人をヒューマノイド化するなりインプラント化して統制すれば済みます。
答えは「日本民族」の守護に関係があります。
最後まで尊重された日本民族
今回取り上げた『銀河史』以外にも、RIAT BLOG という誰でも今すぐアクセス可能なブログ記事が公開されているのが、惑星「地球」の終焉説です。
少しネタバレになりますが、この RIAT BLOG の筆者も他ならぬ「創造主」の立場で、現在創造主とその軍団が地球人類を延命すべく大規模なプロジェクトを推進しています。
前述の通り、創造主の能力で地球人を感化してしまえば住むことを、大変な手間をかけて日本語の書籍を出版し、日本に先端技術研究機構なる団体を設立して活動する意味は、何と言っても、惑星地球が銀河系の中の「聖地」であり、その中でも日本人族は「龍神島」の十人として重要であり、今後の「全宇宙の発展と守護のために不可欠な物理的人類である」ということがテーマになっています。
ですから、どんなに手間がかかっても、生身の日本人がある程度開眼して、新たな創造主として日本民族の継承に力を尽くしているという事実が公表され、最近はYoutubeの動画でも紹介されています。
筆者(無禄)は創造主の意向に100%添える年齢ではないが、少なくとも、この活動母体が我々日本人に伝えようとしている史実と真実の何たるかは完全に理解してから他界しようと考えています。さらに、魂体宇宙人類として生かされるなら幸甚なことです。
筆者(無禄)は、読者の皆さんに『銀河史』の購入を推奨すべきかどうか迷うところではありますが、少なくとも『地球人として我々は何も知らされていない』という命題に興味のある方には、一読をお勧めしたいと思います。
もし、この『銀河史』の下巻の最後までじっくり読まれる読者がおられるとすれば、必ず発行元である「先端技術研究機構」のRIAT BLOGにアクセスして、同 BLOGの 2022年12月3日の記事と同月10日の記事をじっくりお読みになってください。
「銀河史」特集を最後までご覧いただき、ありがとうございます。
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