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ネット空間には、臨死体験者の独白や手記がたくさんアップされています。
筆者もおそらくは十数例の記録や手記を読んだり動画を視聴してきました。
これらの体験報告に共通しているのは、人間の認識の前提として「神」であるとか、「天国・地獄」といった情景や場所の概念。あるいは時間や空間の否定。瞬間的な移動です。
確かに感動的な報告が多く、心動かされることもあるのですが、「死ぬこと」の本質については、まだまだ「わからないことが多い」という認識から今ひとつ解脱できていませんでした。
こういった「不足感」を一気に解消に近いところまで解決してくれたのは、石井数俊さんの臨死体験とその詳しい解説動画です。
この方の説明は明快でわかりやすく、淡々としていて庶民的で、筆者のような普通の人間意識にもストンと入ってきます。
死ぬことについて
話し言葉を文字起こした内容を文章にしましたので、口語表現を読み物とするために、「てにをは」を若干変更させていただいてます。
人間が何回生まれて死んでるかっていう話をすると、これは数十回の人もいれば数千回数万回生まれて死んでる人もいるんで、それだけに人生と呼ばれる肉体を経験することで得た学びの差がすごく大きいんです。
生まれた回数が少ないうちは当然動物に近いんで、ただ死ぬことが恐ろしくて、そのために(人間)は、ご飯食をべたくて、うんこしたくて、セックスしたくて、呼吸したくて、睡眠取りたくてっていう(意識を持った)動物として慣れてもらってます。
それがだんだん神様(高次元存在)に近づいてくると死ぬことも別に怖くない。命をかけてでも何か価値あることに打ち込む。そして簡単に殺されても別に「そういう死に方もあってもいい」ということを前提に生きていけたりするし、そもそも死ぬことを怖がってたら大切なことってほとんどできないんだって(いうようになる。)
偉業を成し遂げた人は自分の命のことを大事に思ってたりはしないんですね。やっぱり自分のことが可愛くてしょうがないのは魂の発達段階が低い証明なんです。
だから魂が幼い人ほど肉体健康とか美容のことばっかり気にして、(高齢者になると)ふけたとか、老(おい)とか病いとか「肉体死」を恐れるという単純に「動物として存続したがる」だけという段階にあるのです。
でも、そろそろ、そのレベルを卒業してる人が増えてきたかな?ということを見越して、一斉に皆さんが他界したり宇宙に帰るみたいなことを起こすタイミングが来たということです。
人間の魂の本拠地
石井氏は、はっきりした定義を伝えてきています。
曰く、「神」といっているのは全て肉体を持たない高次元意識のこと。そして、エイリアンとして話題にされる宇宙のインテリジェントな存在は、ごく僅かな例外を覗き、全ては肉体を持たない高次元意識に他ならないということです。
だから、石井さんの説明によると「宇宙人との物理的遭遇はありえない」ということになりますし、ごく例外的に悪役的な宇宙意識が低次元領域の地球で暴れていた事実がある程度、ということになります。
そして、人間が「神」の存在する領域と考えている高次元世界が、「あの世」であり、その場所は、人間の魂の本拠地、ホームグラウンド、故郷、生命の主体だということです。
地球での人間の生涯は、ちょっとした修行の機会、あるいは奴隷として使いまわされる体験、このブログで紹介している School of Limitation (限界体験の学校)であるということです。
石井氏が非常に気を遣っているのが、彼の書籍や主張が「自死」の賞賛や推奨になってしまう矛盾です。彼もまた「自死」については、否定的です。これだけは、筆者も力説したい。「自死」は闇です。苦しむだけで、なにも得られない。
最後まで読んでいただき、ありがたいです。
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