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ドジャース大谷翔平投手の元通訳で、銀行詐欺などの罪に問われている水原一平被告が14日(日本時間15日)、米ロサンゼルスの連邦地裁に出廷した。
彼が断罪されることについて私が思うことは、ひとえに「もったいない」という思いです。
どういうことですか?
ギャンブル依存だろうが、メンタルだろうが、違法行為の動機について是非を考える必要は感じないが、彼の人生設計については、言いたいことがあるってこと。
あれだけの語学力、なぜそれを自分の仕事に使わない?
自慢じゃないが、筆者の現役時代は、英語力を存分に利用してきた。TOEICのスコアは常に900以上をマークしたし、英検1級も30歳代に合格してました。
水原君の通訳技能。そのヒアリング、発音、イントネーション、表現力、タイミング。どれをとっても超一流だった。流石は大谷選手が指名して側近として採用しただけのことはある。
私からみて彼の失敗は、ギャンブル依存になったことや、窃盗を働いたことではない。これらの犯罪は「結果」であり、原因ではない。
あれだけの語学力があるなら、スポーツ競技の通訳のプロになるべきではなかったのだ!
彼の能力があるなら、企業に就職するなり、起業するなり、いくらでも人の役に立つ人生航路を選択できた。
人の成功や栄光にすがって生きていく必要など、どこにも無かったはずだ。
「通訳」という仕事が好きだったのかどうかは聞いてみなきゃわからん。でも、このケースは明らかに職を誤った事例だ。
通訳 = 捉えどころのない職業
筆者は40歳の前半の時点で、一度企業から退職しています。海外に出て自分の実力で起業してみたかったのです。
起業して始めた仕事は、海外で日本人をサポートする「よろずや」的なサービス業でした。
仕事の一部は通訳でした。
起業したのは東南アジアの主要都市だったのですが、現地で日本人と現地人の間の意思疎通を英語で通訳することは容易でした。
もちろん、公式通訳の免許は持っていませんので、企業などのお客さんが口コミや任意で利用する、いわゆる「現地ゴロ」みたいな仕事で、翻訳ならA4サイズの文章1枚1500円。通訳なら1時間1500円から2000円で売れました。
他にも仕事はあったので、通訳専門ではないが、結構需要はありました。
しかし、この仕事には、常にある種の「虚無感」を感じていました。
仕事の「主体」が自分ではないからです。つまり、「自分でなければならない」という強い位置付けがないのです。
これは、天皇陛下や政治家や大谷さんの通訳でも同じです。
たとえ通訳の技術が高くて、非常に感謝される瞬間があっても、それは、「英語」という言語ができるというだけで、代わりができる通訳がいくらでも居るのです。
おすすめになる教訓
この記事を読まれた皆さんに「おすすめ」できること。
それは、「語学」ができるなら、通訳以外の仕事に生かしなさいということです。
どうしても通訳で生きていくなら、アポロ11号の月着陸で活躍した西山千さんぐらいの人財になるべきです。それなら立派です。
でも、ちょっとやそっと有名になったところで、通訳という仕事は虚しいものです。
西山さんも、通訳術の本を、7件出しているようですが、これを読むのは、ガチの通訳志望の特殊な人だけで、ベストセラーにはなりません。
本の出版では、たいして英語が話せない芸能人の方がよほど成功してます。(まあそれが人生の目標ではないだろうが)
アポロ11号は1969年でしたが、その4年後には、日本の「ソニー」に就職して10年間、この企業の傘下で働いていたことはあまり知られていない。このかたは元々電気工学の修士号を持っていた人です。つまり、通訳は「本業」じゃないんです。
水原君も、通訳にのめり込んで、自分主体の仕事が無かったから、ギャンブルに心が流れたんじゃないかな? 知らんけど。
自分としては、通訳は43歳ごろに見切りをつけて、別の仕事で生きてきた決断は間違いでは無かったという認識があります。
通訳業界からバッシングされそうですが・・・それでも、本当に通訳になりたい人は、なるんでしょう。でも、独特の「虚しさ」は覚悟して欲しいですね。
最後まで読んでいただいたのでね・・・ 感謝感激!
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