アイキャッチ画像はここで紹介した加來道雄教授(Wikipedia) 他は全てenvato elementsのイメージ素材、あるいは Wikipedia に掲載された public domain の公開写真です。
本日のお題は
「戦争からの脱却」
です。
今回の話題は、これからの世界を作っていく若い世代の皆さんによく考えていただきたい話題です。未来の地球文明の明暗をわける課題です。
黒澤明の映画はトルストイやシェイクスピアの物語を日本古来の生活と文化に移植したものとして世界中で高い評価を受けているが、黒澤監督が常に命題としていたのは
「人間はなぜ分かりあえないのか?」
という問いかけだったといいます。
20世紀に人を最も多く殺害した動物は何であったか調べてみると、それは主に病原菌を媒介する「蚊」であり、数千万人から一億人が犠牲になっているそうです。もっと能動的に、意図的に人間を殺害してきた動物は何かというと、それは他でもない「ひと」だそうで、これもやはり五千万から1億人が犠牲になっているという記録が残っています。
野生の動物や害虫を忌み嫌う我々人類だが、その人類の最も大きな敵が他ならぬ人類自身であるというのは何とも皮肉な話です。
なぜ戦争は無くならない?
生成AI(ChatGPT)やYahoo!知恵袋に質問を投げかけてみました。
「人間はなぜ戦争をするのですか?何故地球上から戦争が無くならないのですか?」
生成AIの回答(抜粋)
戦争が無くならない理由
- 複雑な利害関係: 現代社会では国家間や企業間の利害が複雑に絡み合っており、すべての利害を調整することが難しい。
- 不平等の継続: 貧富の差や権力の不均衡が続く限り、対立や争いの原因がなくなることはありません。
- 国際的なシステムの限界: 国際連合などの平和維持機関も完全に戦争を防ぐ力を持つわけではなく、各国の主権や利害の衝突に制約される。
- 記憶の忘却: 戦争の悲惨さを直接経験した世代が減ると、その記憶が風化し、戦争を繰り返す可能性が高まります。
ヤフー知恵袋の回答(ベストアンサー)
bgl********さん 2024/4/8 11:11
生物は生き残る為に争って自分の種を残す。これが性なのかもしれません。自然と共存すると言いますが、これは大きな括りの中で、互いのバランスを保ち結果として全体が共存関係を保ってます。人間も間違いなく生物です。生きる為に争いを繰り返し、今日に至ってます。世界の中では、それこそ、食べるのに四苦八苦してる人間など数えきれません。
資本主義の根本にあるのは搾取です。つまり、簡単にいうなら、力のある(金のある等)人間が、(国)力のない人間から搾取して勢力を拡大する(豊かな生活を送る)、逆に、搾取された側は、貧困の中で生きる事になる。つまり、地球という括りの中で生活する時、その中での出来事は、その繰り返しを永遠に続ける事です。
残念ながら、極端な話になりますが、地球が一つの国にならない限りは、その戦いは無くなりません。
Google Search の回答(SEO)
戦争は、民族や宗教、文化の違い、国境の不明確さ、政権への不満など、さまざまな要因によって引き起こされます。また、資源や領土、政治権力などを獲得しようとする争いも原因となります。
戦争の引き金となる要因には、「利益」「名誉」「恐怖」などがあります。
- 利益:外国の土地などを奪って金もうけをすること
- 名誉:お金には換算できない価値や名声を得ようとすること
- 恐怖:相手にやられてしまう前に、先にやっつけようとすること
アインシュタインは戦争について次のように述べています。
数世紀ものあいだ、国際平和を実現するために、数多くの人が真剣な努力を傾けてきました。しかし、その真撃な努力にもかかわらず、いまだに平和が訪れていません。とすれば、こう考えざるを得ません。
人間の心自体に問題があるのだ。人間の心のなかに、平和への努力に抗う種々の力が働いているのだ。
『ひとはなぜ戦争をするのか』A・アインシュタイン、S・フロイト(共著)
講談社 (2016/6/11)
スウェーデンボリの性悪説
エマヌエル・スヴェーデンボリ(スウェーデンボルグ、スエデンボルグとも表記、Emanuel Swedenborg、 1688 – 1772)は、スウェーデン出身の科学者・神学者・思想で、生きながら人の死後の冥界・霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されています。
死後の世界を探求したいと考えた人々にとっては、必ず一度は参照する古典的な存在です。そのウェーデンボリは、人間の性悪説について次のように説明しています。
それでは、何故地獄界の波動を持つ凶霊が人に付くのか?それは(意外にも)自然人が凡ゆる悪の環境下に転生しているからであり、自然人の起源が悪であるからである。自然人は自分に親和性のある精霊が付いていないと生きれない。故に凶霊との関わりは必然なのであり、また、そうであるが故に人は善霊とも和合して悪から離脱できるのだ。 善霊と凶霊が共存してバランスする環境こそ自然人が塵界で許されている「自由」の設定条件なのである。自由であるが故に人はやがて(自ら)善を選択して悪から離れることが出来る。このように地獄の伝霊と天の伝霊の双方が人に関わり、選択を許されるからこそ自由がある。そして、善の本質は自由意志から生まれる。強制されるものでは無いのだ。
地獄界と交通せる精霊も亦(また)人間につき添えり、そは人間の生るるや直ちにあらゆる悪の裡(うち)に陥ればなり、故に人間当初の生涯は全く是等精霊の手裡にありというべし。されば人間にしてもし己れと相似たる精霊の、これにつき添うことあらざれば、彼等は活くるを得ず、また諸悪を離れて正に帰るを得ざるなり。人間が凶霊によりて己れの生命を繋ぎ得ると同時に、善霊によりて之(これ)より脱離するは、是の事由に基づけり。而(しか)して人間は又此両者の徳によりて、平衡の情態を保持し、此の故に自由の意思あり、以て悪を去りて善に就くを得べし、又その心の上に善を植え付くるを得べし、人間もし自由の情態にあらざれば、このこと決してあり得べからず。
スヴェーデンボリ 鈴木大拙訳『天界と地獄』293節
このことから、悪の所業といえる殺戮を行う自由を与えられている人間は、この地球において、与えられた自由を行使して戦争と殺戮に走り、そしてその愚かさを学ぶことで、やがて善なる人生に帰結するという解釈ができます。
人間の性悪説と自由の原則に立ち返れば、人間同士の殺戮や戦争は避けることのできない「必要悪」なのかもしれません。
善と悪の二元論
「悪を知らずして善を知ることは不可能」という思想は、善と悪が相対的であるという考え方に基づき、多くの哲学者や思想家によって表現されてきました。
このテーマを最も有名にしたのは、老子やヘーゲル、ミルトン、そしてニーチェといった思想家たちですが、善悪の相対性についての議論は哲学や宗教の普遍的なテーマであり、時代や文化を超えて議論されてきたものです。
老子(老聃) – 『道徳経』
老子は『道徳経』の中で、善と悪の相対性を示唆する言葉を記しています。
「天下皆知美之為美,斯悪已」(天下の人が美を美と知るのは、醜があるからだ)。老子の思想では、対立する概念が互いを際立たせる存在として不可分であることが強調されています。
ヘーゲル – 弁証法
19世紀の哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、弁証法において対立する要素(テーゼとアンチテーゼ)が合一することによって進歩が生まれると主張しました。この中で、善(テーゼ)と悪(アンチテーゼ)の相互関係が人間の道徳や精神の発展に不可欠であると考えられます。
ジョン・ミルトン – 『失楽園』
イギリスの詩人ジョン・ミルトンは叙事詩『失楽園』で、アダムとイヴが知識の木の実を食べて善悪を知る物語を描きました。この作品は、善悪の認識が人間の自由意志と成長に必要不可欠であるというテーマを深く掘り下げています。
フリードリヒ・ニーチェ
ニーチェは善悪に対する相対的な視点を『善悪の彼岸』や『ツァラトゥストラはこう語った』などの著作で展開しました。彼は伝統的な善悪の枠組みを批判し、「善」と「悪」は固定された絶対的な価値ではなく、人間の歴史や社会の文脈で作られた概念だと主張しました。
仏教思想
仏教では、煩悩や悪を克服することを通じて悟りに至ると説かれています。「悪」を知らなければ「善」の価値も理解できないという考えは仏教的な修行の中核にあります。
惑星レベルの文明論
天文学や宇宙物理学の発展により提唱された Planetary Civilization (惑星文明)の確立という命題があります。現在の地球では、惑星レベルの文明はまだ確立されていないという認識です。
惑星文明(あるいは宇宙文明と呼ばれる場合もある)の基礎を提唱したのはロシアの天文学者であるニコライ・カルダショフ(Николай Семёнович Кардашёв、1932 – 2019)です。彼はまず地球の文明レベルをタイプIとして、太陽のような恒星エネルギーを活用できる文明レベルとタイプII、そして所属する銀河全体のエネルギーを活用できる文明をタイプIIIとしました。これが1964年当時のカルダショフ・スケールです。
例えば太陽エネルギーを全て活用できる文明になるためには、惑星地球の文明レベルは戦争のような自虐行為の連鎖から卒業しなければならないでしょう。
米国の天文学者のカール・セーガンは、1973年にカルダショフの頭文字Kをとって地球の全エネルギー消費量の基準値(K)を計算しました。これによりカルダショフのタイプIIとタイプIIIのエネルギー消費指数を2〜3まで(タイプII)と3以上(タイプIII)に再定義しました。
米国の物理学者である加來 道雄(ミチオ・カク)Michio Kaku (1947年1月24日)は、地球の人類文明が各ステージに到達するまでの時間をI型文明:100~200年、II型文明:2~3千年、III型文明:10万年と予測しています。つまり、人類はまだタイプIのレベルにすら達していないというわけです。
「新聞を開くたびに目にする見出しは、すべてタイプI文明の誕生の陣痛を示しているように感じられます。しかし、逆の傾向も見て取れるのです。テロリズムとは何でしょうか?ある意味で、テロリズムはタイプI文明の創造に対する反発と言えます。多くのテロリストは私が言っていることが何なのかさえ理解していないかもしれません。彼らが反発しているのは近代主義ではなく、私たちが多様な文化を持ち、寛容で科学的な社会へ向かおうとしているという事実なのです。これこそが彼らの望まないものであり、科学を拒み、神権政治を求めています。彼らは多文化主義を望まず、一文化主義を求めているのです。したがって、本能的にタイプI文明への進行を嫌っているのです。この傾向のどちらが勝つのか、私には分かりません。しかし、私は私たちがタイプI文明として台頭することを願っています。」
So whenever I open the newspaper every headline I see in the newspaper points to the birth pangs of a type one civilization information. However, every time I open the newspaper I also see the opposite trend as well. What is terrorism? Terrorism in some sense is a reaction against the creation of a type one civilization. Now most terrorists cannot articulate this. They don’t even know what the hell I’m talking about, but what they’re reacting to is not modernism. What they’re reacting to is the fact that we’re headed toward a multicultural tolerant scientific society and that is what they don’t want. They don’t want science. They want a theocracy. They don’t want multiculturalism. They want monoculturalism. So instinctively they don’t like the march toward a type one civilization. Now which tendency will win? I don’t know, but I hope that we emerge as a type one civilization.
— Michio Kaku, “Will Mankind Destroy Itself?”, 2010
私たち人類は、戦争という未熟な行為から卒業して惑星文明のレベルをあげるために、IT技術やSNSを最大活用して惑星レベルの統一文化・文明・技術を目指して進むべき道を歩んでいるのです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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